書評36回目 ぬい-その2《正直な泥棒》ドストエフスキー
私が今回読んだ小説は、短編であるがロシアの文豪ドストエフスキーの「正直な泥棒」という作品である。酒場で出会った酔っぱらいが家に転がり込み、そのまま居着いてしまうという、いささか突飛な話である。しかし居候状態の男が気がかりな話し手は、彼を追い出すことも出来ず、男に仕事を探すことを勧めたり、どうにかして寄る辺なき状態から助けたいと思うようになる。
この居候男、飲んだくれのうえに話し手の所有物を盗んでしまうなど、はっきり言ってろくでなしである。しかし同時に哀れな人間でもあり、どこか放っておけない。今の時代でもそういう人間は沢山いると思う。私はこの作品を通し、そういう状況の人間を放っておけない、ある意味での「母性」を感じた。人間は男女構わず、母性と父性を持ち合わせていると思う。人間が人間に対する慈愛の心は、誰にでも必ずあるはずである。世の中には、今この瞬間にも、この短編の中に描かれた男のように頼るべき場所も無く、静かに虚しく死んでいく人間が大勢いるに違いない。その時、自分はそういう人々に対しどう思い、どう行動するのか。その選択により、自分の真の人間性が暴かれてしまうのかもしれない。
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